原始筆界

筆界の法律,制度,4つの地図

 原始筆界は明治3年から明治22年頃にかけて確認された所有権境界が元になっています,ですから原始筆界を知るためには制度の成り立ちについて知ることが必要になります,原始筆界の元となっている土地台帳附属地図は明治の壬申地引絵図,地租改正地引絵図,地押し調査更正図,地籍編成地籍地図を元にして明治22年の土地台帳法の施行により作成されました,府県によってこの4つの地図のうちどれが元になっいるかは異なります。

 4つの地図の内容もその府県令によって異なりますので土地台帳附属地図(公図)を読むときは府県,町村でどのように作成されたかを調べておくことが必要です。

 明治20年2月1日施行の登記法と明治22年施行の土地台帳法によって土地を表示する事項は二元化されて来ましたが昭和35年に土地台帳法と不動産登記法が一元化され現在の不動産登記法の形態で管理されています。



境界の確認
 明治3年に”壬申(ジンシン)地券”,今で言う”権利書”が発行されました,これによって・・・

 右の絵は秋田県の地租改正における境界確認風景画です。

境界の測量
地図測量
 地図は切り図,字図が作成され,地租改正地引絵図,精度の悪い県でその後に地押調査更正図が作成がされました,このどちらかが現在の土地台帳附属地図(公図)の元になっているとされています。
 右の絵は秋田県の地租改正における切り図,字図の地図測量風景画です。

面積の測量
面積の測量
 課税は面積とその土地の生産性によって課税されました,面積は市街地,農耕地(郷村地),山林原野の3つの区分別に測量され,それぞれ測量の方法が異なります。
 農耕地(郷村地)は面積に含める有租地と面積に含めない免租地があり,町村によってその扱いが異なったようです。
 他に道水路,国有地などの無租地があり,これらは面積測量はされませんでした,一部の地租改正地引絵図は道水路の幅と長さが記載されたものもあります。
 右の絵は秋田県の地租改正における面積測量風景画です。
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地租改正地引絵図

土地台帳附属地図(公図)の元になった地図

 地図は壬申地引絵図,地租改正地引絵図,地押調査更正図,地籍編成地籍地図の4種類の作成が明治政府から町村に対して布達されましたが,町村によって対応が違ったとされています。

 上の三枚の絵は秋田県に於ける,地租改正地引絵図の測量を当時絵画いたものです。


間縄の伸縮(伸び)
  明治の初めに行われた土地の境界を測った地図に壬申地引絵図,地租改正地引絵図,地押調査更図,地籍編成地籍地図があります,このうち現在の公図の基になった土地台帳附属地図は地租改正地引絵図,地押調査更図から作られました,この経緯はここではしません。

  ここでは,この時の測量(境界丈量)の距離の測定に使われた間縄について,その精度について検証してみました。

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一間は何メートル
 地図は壬申地引絵図,地租改正地引絵図,地押調査更正図,地籍編成地籍地図の4種類の作成が明治政府から町村に対して布達されましたが,一間は何メートルだったのか。
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公図(和紙公図)の縮尺
 法務局には和紙で作成された和紙公図があります,この法務局に保管されている和紙公図は明治22年〜23年に税務署に於いて作成されたものです,明治6年〜11年にかけて測量された地租改正地引絵図,明治18年から22年にかけて測量された地押更正図を字単位に複写したものと言われております。
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公図(和紙公図)の精度

 公図は何回も書き換えられている,先ず,ここの地引絵図をご覧ください。図の上下に南とありますが上が北で下が南です。

 この地引絵図の基となるのが分見野帳なのです,ここの地域の境界(筆界)復元のもとは分見野帳になります。図1の分見野帳に土地は右下の6筆にあたります。

次に,ここの近くにある別の公図(改祖図・更正図)です。東京の23区の内の公図(改祖図・更正図)はこんな感じに破れ,汚れがあります。当然,縮尺も入っておりません。

 ここにはこの時代の公図が不明です・・何処かの倉庫にあるかもしれません。公図(改祖図・更正図)作製以後に土地の分筆がなされた土地には分割線が入っています,この分割線に記入方法が「目検討」でなされために境界(筆界)復元性はほとんどありません,そのため分割された境界(筆界)復元には分筆登記に添付された「分筆申告図」「地積測量図」を基にすることになります。


「公図(和紙公図)の精度 その1」作成中
公図(和紙公図)の精度 その2」続きを読む2015/11/29